No.00029911


アポロニクス1号計画(創作)
(E)A.D.2010/06/xx
(M)A.D.2010/06/xx
MFCメンバー
MC-7




 この計画、われわれの次元(E)では存在しない、次元(M)のアメリカNASAによる「有人火星探査計画」である。この次元(M)では、1969年7月の「アポロ11号 有人月着陸成功」により勢いずいたアメリカ政府ニクソン大統領により発表された2つの宇宙開発計画の内の1つで、もう1つは、次元(E)でも存在した「スペースシャトル計画」であった。

 この計画では、3機の火星往復ロケットをタイムラグを付け、それぞれ別コースで出発させ火星に到達、着陸、調査、帰還し、それぞれの軌道、所要時間、燃費の調査に加え、NASAの航宙管制能力のテストと、ありとあらゆる調査を一挙に行おうとする果敢な計画であった。

 この計画には、アメリカ政府の呼びかけにより、当時、対立していたソビエト以外の世界各国から科学者、技術者を集めソビエトに対してのアメリカ政府の威信をかけた挑戦であった。日本からも片貝大三博士が参加し指揮を執った。

 この計画の名称「アポロニクス」とは、月着陸に成功した「アポロ(ギリシャ神話の太陽神)」と「○○工学」の「ニクス」を合わせた造語で、アメリカ政府としては「航宙工学 = アポロニクス」としたかったようだが、結果として浸透はしなかったようだ。

 「アポロニクス1号計画」の3機は完成後、それぞれ、中止された「アポロ計画」のナンバーを受け継ぎ、18番機、19番機、20番機とされた。更に燃料の積載量の違いで、19番機、20番機は次元(E)では有り得ない程の超巨大ロケットとなった。


@アポロニクス1号
   18番機 最少量の燃料と安全航行を最優先とし、火星最接近に合わせ出発する準ホーマン軌道にて航行。火星着陸、待機のみで調査はせず帰還を目的とし運用された。
1976年1月 フロリダより発射成功。
地球衛星軌道へ到達。
火星離脱用 燃料タンク・ロケット、ドッキング完了。
地球軌道離脱成功。
1976年9月 255日で火星衛星軌道へ到達。着陸に成功。
460日の待機開始。
1978年1月 火星発射成功。衛星軌道到達、火星軌道離脱成功。
1978年9月 大気圏突入前に通信途絶事故発生。
通信途絶のまま予定より2時間早く大気圏突入開始。
大気圏突入カプセル回収時に回収ヘリの爆発事故発生。
255日で地球に帰還成功。
計画通りの970日での帰還となった。








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   19番機 加速用燃料を増量。火星往路日数の短縮を目的とし、火星最接近に合わせ出発させるが復路は安全航行を優先し地球の最接近に合わせ、待機日数を増やし火星の調査後、準ホーマン軌道にて帰還させる。
1978年3月 フロリダより発射成功。
地球衛星軌道へ到達。
火星離脱用 燃料タンク・ロケット、ドッキング完了。
地球軌道離脱用 大型燃料タンク・ロケット、ドッキング完了。
地球軌道離脱成功。
1978年9月 190日で火星衛星軌道へ到達、着陸に成功。
火星の調査開始。
NASAとの中継中に通信途絶事故発生。
数時間後 通信回復。
525日の待機開始。
1980年2月 火星発射成功。衛星軌道到達、火星軌道離脱成功。
1980年11月 255日で地球に帰還成功。
計画通りの972日での帰還となった。
   20番機 19番機より更に加速用燃料を増量。火星と地球の最短距離(約0.5237天文単位)往路の航行を行う。往路日数予定80日と算出。出発はこれに合わせ行われた。復路は火星にて合流する19番機とともに安全航行を優先し、待機日数を19番機に合わせ火星の調査後、準ホーマン軌道にて帰還させる。
1978年9月 フロリダより発射成功。
地球衛星軌道へ到達。
火星離脱用 燃料タンク・ロケット、ドッキング完了。
地球軌道離脱用 超大型燃料タンク・ロケット、ドッキング完了。
地球軌道離脱成功。
1978年12月 82日で火星衛星軌道へ到達、着陸に成功。
19番機との合流に成功。
19番機と共に火星の調査開始。441日の待機開始。
1980年2月 火星発射成功。衛星軌道到達、火星軌道離脱成功。
1980年11月 255日で地球に帰還成功。
計画通りの782日での帰還となった。
   NASA 18番機、19番機、20番機それぞれの管制を担当。最大の見せ場は1978年9月15日の20番機の発射、同時に19番機の火星調査中継。更に18番機の帰還。この3ミッションの同時管制であった。












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     アポロニクス1号 各機の航行状況
日数 軌道位置(角度)
18番機 19番機 20番機 地球° 火星°
1976/1/19 18番機地球出発 0 -45.00 0.00
1976/4/25 火星最接近 97 50.67 50.89
1976/9/30 18番機火星到着 255 206.51 133.78
1978/1/3 18番機火星離脱 715 300.20 15.11
1978/3/9 19番機地球出発 780 0 4.31 49.21
1978/6/14 火星最接近 877 97 99.99 100.10
1978/9/15 20番機地球出発 970 190 0 191.71 148.89
19番機火星到着
18番機地球帰還
1978/12/6 20番機火星到着 272 82 272.59 191.91
20番機19番機合流
1980/2/28 19番機火星離脱 721 531 355.44 67.47
20番機火星離脱
1980/8/3 火星最接近 878 688 150.29 149.83
1980/11/5 19番機地球帰還 972 782 243.00 199.15
20番機地球帰還




アーデンの関与

 1978年9月15日当日、「アポロニクス1号計画」を利用した、アーデン星人の関与による「地球侵略作戦」が密かに行われていたのである。これを計画進行中に気付いたミクロマン、フードマンらによりアーデン星人は撃退。「アポロニクス1号計画」も、彼らの隠れた努力により成功に導かれたのであった。しかし、この事実は片貝大三博士のみが知るだけで、NASAでは計画は成功とされた。後日のフードマンらの証言によると、「アーデン星人の関与が無ければアポロニクス1号計画は人類の力のみで成功していた。」との事であった。その後も片貝博士が口をつぐむ事により人類の実績とされた。長い期間、宇宙を自力で旅をしてきたフードマンの証言により、ミクロマン達も認める事実となった。


地球への火星の最接近

 この次元(M)では、火星の地球最接近が次元(E)より、およそ150日遅れている。理由は不明だが太陽系全体の軌道にも違いがあるともいえる。今後の調査が必要。











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