てって博士
てのひらに「て」

◆本名◆ テツヤ

◆誕生日◆ 1969年8月2日

◆居住地◆ 石川県金沢市

◆職業◆ 理科教師

◆好きな色◆ 青

◆趣味◆ 合唱

◆家族◆ 父 母 妻 娘 息子

◆日記◆ mixi

ヘロンの噴水

微小電気伝導検知器

ペットボトルロケット
◆科学者としての自覚◆

物心ついた頃から、実験や科学的なものが好きでした。テレビのヒーロー番組に脇役で出てくるような博士達に憧れました。

自分が歳をとって地球の危機が訪れた時、秘密の研究所から現れたメカで人類を救うというようなことを想像していました。

5,6歳の時には磁石遊びに夢中になり、自分で電磁石やブザーを作っていました。

銀河系宇宙を背景としたミクロマンの物語を読んで、宇宙への関心もますます高まりました。

『○年の科学』(学習研究社)を愛読。『宇宙のひみつ』『植物のひみつ』など、同社の「ひみつシリーズ」はほぼ読破。

本のお陰で物知りになり、小1の時にクラスで「りかはかせ」と呼ばれたことがあります。

小4で電気工作クラブに入り、ダイオードラジオを組み立てました。

中1の時に『初歩のラジオ』(誠文堂新光社)を見てワイヤレスマイクの製作に粘り強く取り組んだものの失敗。しかしそれ以来電子工作を趣味として意識するようになりました。

高校時代、理系を選択しましたが成績は伸び悩み、座学中心の授業に反感を持ちました。

一方、タイムマシン関連の書物を読み漁って物理学への興味を深めました。

教育系の大学に進み、理科の単位を可能な限り多数履修しました。大学院での研究テーマは「硫安・硫酸系結晶の強誘電性相転移」。

この頃、NHKプライム10で放映された「のらねこの挑戦―物理教師達の型破り授業」を見て強い影響を受けました。

理科教師となり、面白い実験を多数取り入れた授業を行っています。現在は特別支援学校に勤めています。

また、ヘロンの噴水、ペットボトルロケットの強化、手動綿菓子製造機、微小電気伝道検知器、ミョウバンの単結晶育成方法の改善など、教材開発と称して面白そうな実験には何でも取り組んでいます。
対称型ヘロンの噴水

手動綿菓子製造機

ミョウバン大型結晶




指令基地、ロードステーション基地、タワー基地M-115

マリンコプター

ジャイアントアクロイヤー

ミクロマン関連資料ファイル
◆ミクロマンとの出会い◆

5歳の時、テレビコマーシャルでミクロマンの発売を知りました。

保育園の友達はみんなミクロマンを持っていましたが、自分はなかなか買ってもらえませんでした。指令基地やロードステーション基地を持っている友達の家で少しだけ遊ばせてもらったのですが、ミクロマンはとてもかっこよく見えました。ミクロマンが乗る“メカコスモシリーズ”のCMでは、“マリンコプター”が半分水に浸かってローターを回転させながら力強く進む映像に心臓を鷲づかみにされました。

発売2年目の昭和50年末、ようやくデパートに連れていってもらえました。そのときたまたま手にとったのがアクロイヤー2の“マッドブルー”でした。

同時に弟がミクロマン付きの“スーパージェット”を買い、それに付属した解説書を見せてもらいました。自分は小学校入学前でしたが、科学の香りにとりつかれてその豆本を読みふけりました。

それから少しずつミクロマンのコレクションを増やしていくことになります。ミクロマン3年目に登場したスパイマジシャンで遊んでいた頃には、大人になってもミクロマンを集め続けるだろうという未来を漠然と想像していました。

昭和52年の大型連休に、ミクロマンの情報がほしくて初めてテレビマガジンを買いました。6月号の付録はミクロマンクラブケースでした。ミクロマンコマンドやジャイアントアクロイヤーなど、魅力的な新キャラクターの記事が載っていて夢見心地でした。

その夏、少しずつ小遣いをためてジャイアントアクロイヤーを買う決意をしました。毎日自動販売機の下に落ちているお金を探すなどして、まず左腕になるアームロイドTaを買いました。しかし遊んでいるうちに壊してしまい、泣く泣く買い直しました。結局ジャイアントアクロイヤーの合体が完成したのは翌年の春でした。

小学校高学年になって、毎月1000円という安定した小遣いがもらえるようになりました。お金さえあればいつでもミクロマンが買えると思っていたら、初期の製品はもう手に入らないことがわかってショックを受けました。

昭和56年、シリーズはニューミクロマンに移行しましたが、売れ残っている古い製品を全力で買い集めるようになりました。自転車に乗り、誰にも内緒で遠くの町に出かけておもちゃ屋さんを探し続けました。

小6の時、作文でミクロマンに精力を傾ける理由を書いてみたことがありましたが、ストーリーが魅力的だということを表そうとしただけで膨大な量になり、収拾がつかなくなってしまいました。

ストーリーの紹介は、知り合いの小さい子に話してみたらすごく喜ばれ、会うたびに何度もせがまれながらミクロマンストーリーを教えました。結局全てを伝えることはできませんでしたが、同じようなことは今ホームページを利用して全うしようとしています。

昭和60年に日本でトランスフォーマーが発売され、ミクロマンはしばらく影を潜めることになりました。遠くの町のおもちゃ屋めぐりもやがて成果が得られなくなりました。

平成3年、『宇宙船』で組まれたミクロマン特集を読んでミクロマン熱が再興。東京などの中古玩具店で入手可能なことも知りました。

平成9年、浪曼堂の限定復刻品を求めてワンダーフェスティバルの行列に並びました。そこでオリエンタルテクノロジーの存在を知り、インターネット上でのミクロマンのファン活動に初めて触れることになりました。

さらに平成14年、自らαH
研究所を立ち上げてミクロマンの世界を極めるべく日夜研究に励んでいます。
マッドブルー

スーパージェット

テレビマガジン昭和52年6月号

ミクロマンの載った雑誌


平成18年の雪

獅子舞保存会
◆ふるさと◆

金沢の、自分が生まれ育った町には強い愛着を持っています。

秋祭りには獅子舞が出ます。加賀獅子舞は、巨大な体の獅子を剣術によって退治するという演技に特徴があります。演技指導などを通してこれまでたくさんの子ども達と仲良くなりました。しかし大都市への流出や多忙化などのため、後継者として定着する人材はなかなか育ちません。

歌声にはかなり自信があります。カラオケで特に評判がいいのは古いアニメの曲です。でも本当は最近のヒット曲も手広くこなします。高校では合唱部が一番活発だったこともあって合唱部に入りました。卒業後も市内の合唱団に入るなどして、音楽を通した人付き合いがあります。高校の時の仲間は一人も残っていませんが、たまに同窓会などで集まる時には、地元に残っている自分の存在はかなり大切だと感じています。

金沢は時折雪害に見舞われるほど、冬には雪がよく降ります。小さい時から雪で遊ぶのは大好きでした。家の周りの除雪は重労働ですが、近所の人と声を掛け合いながら、道行く人のために汗を流すのはとても気持ちのよいものだと思います。温暖化が進むと金沢では雪が積もらなくなってしまうといわれていますが、絶対そんなことにはしたくありません。二酸化炭素排出を増やさないようにするため、愛車には早くからハイブリッド車のプリウスを選ぶなど、エコロジーの先駆けを心がけています。
我が町

雨水タンクとプリウス

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