ミクロアース物語 1.00+0.01

少年

 少年Tはかなり幼いときの記憶まで大切にしていた。2歳頃、午睡から一人目覚めた彼は、母親の姿を求めて下の階に降りようとしたことがある。小さな体では四肢を精一杯使って1段ずつお尻をずらしてゆかねばならないが、そうやって1,2段降りたとき、ふわっと体が浮いた。そしてそのまま滑らかに階段を下り、空中から静かに着地したのだった。まだ宇宙の何たるかを知らないTは、この現象も大自然が見せる断面の1つとみなした。翌日、再び2階から階段を降りる機会があり、あの心地よい体験を味わおうと四肢の力を抜いた。だが予想に反して彼の体は浮かぶことなく、ドドドとお尻から階段を滑り落ちて大声で泣いた。これが本来の力学現象だ。では、あのときふわっと浮いたのは、夢の続きを見ていただけなのか?それとも何者かが後ろからそっと支えていてくれたのか?もしかしたらあのときだけは本当に体が浮かんだのだろうか。
 彼にとっての初めての記憶などを検証する術は、今更あるはずがない。しかしあの不思議な体験をしたことが、宇宙の法則全般へ強い興味を持つようになるきっかけだったのかも知れない。
 実験できることは検証してみなくては気が済まず、児童雑誌に出ていた科学遊びは一通り試した。シャボン玉の色々な飛ばし方に、あぶり出し、静電気遊びなど基本的なものは小学校に入学する前に体験した。鳴き砂の浜を歩くとクックッという高い音がするのは砂がきれいだからと聞いたので、ひとすくいの砂を何日もかけて水や石鹸で洗い続けた。しかし結局高い音はしなかった。ガラス質の多い砂が必要だったのだ。雪でできたかまくらの中は意外に暖かいと聞いたので、小さな体で懸命に雪を積んだ。手足を縮めてようやく入れるだけの雪穴をこしらえることができたが、ストーブを持ち込まない限り内部の温度が上がるはずもなく、風をしのげるから暖かいだけだということがわかった。
 4年生の夏、自由研究テーマは「強力なでんじしゃくづくり」だった。普通なら電池をたくさんつないだり、エナメル線をたくさん巻いたりして磁力を強くするわけだが、T少年の方法は一風変わっていた。磁力線を狭い範囲に集中させるよう、鉄芯の形を工夫するというのがその趣旨だ。よくある馬蹄形をした磁石というのも、N極とS極が近くにあるために磁力線が両極間に集中しており、同じ大きさの棒磁石よりは鉄材をくっつける力が強くなっている。この原理は愛読している学習図鑑から拝借したものだが、実際にどう作るかは彼のアイディアの見せ所だった。まず缶詰のふたを円く切り取り、中心に釘を打った。その釘にエナメル線を500回巻いて、コイルを作った。エナメル線は、スクラップを分解して手に入れたものだ。そして空き缶のふたの周囲に多数の切込みを入れて90度折り曲げた。チューリップの花に似ている。中心の釘とコイルがめしべで、鉄板の花びらがそれを包み込んでいるような構造だ。コイルに電流を流すと、柱頭と花びらの間に強い磁場が発生する仕組みだった。早速電池をつないでみたが、磁力はあまり強くない。失敗だ。チューリップの先だけで磁場を発生させる予定だったのに、チューリップの根元にも鉄がくっついた。磁力線の閉じ込め方が不完全だったのだ。鉄板がよくない。もっといい材料は?太いエナメル線が大量にほしい。あの壊れた洗濯機からエナメル線を取り出せれば…。しかしもう時間切れだった。製作レポートには皆感心してくれたが、みすぼらしいだけの弱い磁石では、強力磁石を作り上げるための理論を証明することができないのが残念だった。
 時はあたかも第二次石油ショック。省エネルギーが声高に叫ばれ、彼の興味は次第に無限エネルギーの可能性に向かっていった。不可能だと言われている永久機関だが、本当につくることはできないだろうか。雪でできた暖房器具、電池一本で自動車を持ち上げる電磁石、みんなわずかなエネルギーを入力するだけで大きなエネルギーを取り出せる装置のように思えたから作ってみたのだ。
 あるとき、長いビニルチューブが手に入ったので「ヘロンの噴水」というものを作ってみた。モーターも何も使わないのに、噴水が出続けるというものだ。その原理が面白い。噴き出た水は受け皿からタンクに入り、その水の重みで空気を圧縮する。その空気がチューブを介してまた別のタンクの水を押し出し、噴水となって受け皿に落ちる。一見、循環しながらいつまでも水が出続けるような気がする。ところが高位置のタンクから低位置のタンクに水が移ると噴水は止まってしまうのである。完成までには、タンクとチューブをつなぐ方法や、水漏れを防いだりする方法など色んな問題に悩んできただけに、実験の成功はとても嬉しかった。だが、それは永久機関を作るのは無理だということを改めて認識する実験でもあった。
 この宇宙の法則に従う限り、無限のエネルギーなどというものを手にすることはできないのか。ほんの一時でも、その限界を打ち破ることはできないのか…。
 1981年、NASAは初めてのスペースシャトルの打ち上げに成功した。人類は宇宙へもっと出ていくための道具を手に入れたのだ。そこに輝く太陽は永劫の未来まで光を与えてくれる。少なくともこれまでの人間の歴史を1000回繰り返すくらいの長い間。無限エネルギーの夢を諦めるのはまだ早いかもしれないと、少年は思った。


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